おはようございます、ほくろんです。
今回は牛久保小学校#5をやってみて感じたこと……です。
……。
なんか長くなってしまったので先に結論を書いておくと、
僕らのちょっとした声掛けで「そういう風に宣言した方がTRPG楽しいじゃんか!」と気づいてくれると嬉しい
というお話です。それだけ(笑)
中身が気になる、という方はぜひ続きをお読みいただければ幸いです。
では!
例えばほくろん卓で、罠屋敷に入るとき。扉の前で他のプレイヤーに「どうする?」と聞くと、「中に入る」と答えが返ってきます。
枯葉卓で玉座にいるモンスターを見破ろうとしたとき。GMに「玉座にいるのはどんな敵?」と質問をすると、「正体はわかりません」と返ってきます。
これら2つはいずれも
「まず結果を言っちゃう」パターンに分類されます。
それぞれプレイヤーとGMという違いはありますが、「質問されると、まず最終的な答えを言っちゃう」という気持ち、大人になっても良くわかります。
しかし! 「言えばそうなる」とは限りません。「中に入るぜ!」と宣言しても、それが実現されるのは「扉に近づく」「扉に開ける」「中に踏み込む」などのステップを踏んでから、です。「正体、わかりません!」と言ってもプレイヤーとしては「いやいやいや、そうじゃなくて背格好とか、そのくらいは……」となってしまいます。
☆ 点線の中は飛ばしちゃっても良いですよシリーズ・その1
上の例についてちょっと詳しく書きますと、次のようになります。
前者の「中に入る」とは、現在の状況からプレイヤーが望む「結果」です。「中に入りたい!」という思いから、「中に入る!」という宣言に最短距離で到達しています。
ここで省略されているのは「動作」です。「扉を開ける」とか「扉に近づく」といった動作、つまり「どうやって中に入るのか?」が省略されています。
後者の「良くわかりません」は「正体を知ろうとしたキャラクター」が辿り着いた最終的な「状態」です。正体が知りたい、というプレイヤーの意志から「分からなかった」という結果が最短距離で求められています。
ここで省略されているのは「理由」です。「マントを羽織っているから」とか「見たことがない敵だから」といったこと、つまり「なぜ分からなかったか」が省略されています。
これは言い換えると、「(これだけは)分かったこと」の省略とも言えます。「マントを着ているのは分かったよ」とか、「さっぱり見たことも無い、ということが分かったよ」という断片的な情報を振り切って「正体は、分からない!」が提出されています。
さ・ら・に……おそらくGMはここで「正体はまだバレたくない」と考えてこの発言をしたのだと思います。すると、「正体は分からない」という「望む結果」をもたらすのに本来必要な「ああ、そりゃわからんわ」というプレイヤー側の反応、それを引き出すための描写をすっとばしてしまったとも言えます。
前者は物理作用に至る動作の省略であり、後者は観察者が認識に至る過程の省略であるという意味では、「説明されなかったこと」の内容には大きな差があります。
しかし、以降の話ではこの2例を「説明しといたほうが良いこと、を見逃してしまう」という話者の失点に注目し、同じものと考えています。
さらに言えば物理作用も認識も「語られた物語内部のこと」である以上、最終的には「その語りは説得力があるか」「あるとしたら、なぜか」という問題に落ち着くと考えますが、それはまた別の機会に……
こういった省略ですが、子どもたちには非常に多いように思います。上の例の他にも、
ほくろんGM:10m先にゴブリンがいるけどどうする?
子ども:倒す!
(……まず近づいてくれ……で、「剣で攻撃」してくれ……)や、
ほくろんGM:「モンスターに荷物を奪われてしまって……」
子ども:よし、倒しに行こう!
ほくろんGM:おう。
子ども:倒しにいく!
ほくろんGM:……おう。
子ども:……
ほくろんGM:(どこに行くんだ……? 北か南か……?)
といった具合です。
では、これを解消するにはどうするか?
それは、「どういう手順を踏めば、望んでいることが達成されうるか?」と考えることを促してあげることです。
例えば、
子ども:中に入る!
ほくろん:まだだいぶ小屋まで遠いぜ?
子ども:じゃあ近づく!
GM:扉があります。
子ども:じゃあ、中に入る!
ほくろん:GM、扉開いたー?
GM:扉は開きました。すると上から……!
といった具合です。
「それしたいなら、これを宣言しといたほうが良いんじゃないかな?」というポイントをちょくちょく刺激してあげる……という感じでしょうか。
☆ 飛ばしちゃっても良いですよシリーズ・その2
(飛ばしちゃっても良い度合いに応じて文字は小さくなります)
……実は、このステップも細分化することができます。
極端に言えば扉に到着するまでは「右足を前に出します」「左足を前に出します」を交互に宣言しなければ「歩く」という動作は成立しませんし、「腕を40cmほど上げて、手のひらを開いて……」の結果として「扉が開く」のです。上の話を拡大すれば、それも「結果を導くための過程」です。
しかし、それをいちいちTRPGで宣言することはありません。
では、どの程度の動作まで宣言するのが適切なんでしょう?
これは、「状況に応じて」「常識的に(つまり慣習的に)」判断されているでしょう。
そう言ってしまえばそれまでですが、あえて突き詰めてみれば「失敗の可能性があるかどうか」と言えるでしょうか。
例えば、「右腕を40cm上げる」という動作に失敗する可能性は低いと考えられます。対して、「扉を開ける」のは失敗する可能性があります……「鍵がかかっている」「中から押さえつけられている」などの理由で、です。
ここでそのキャラクターが「右腕をけがしている」としましょう。すると、「右腕を上げます」という宣言は「必要なもの」に思えてきます。これは、「けが」が理由になって失敗する可能性が考えられるからだと解釈することができます。
一般的に大人のプレイヤーはこれまでのセッションの経験(及び、自分自身の経験……手を怪我したら動かしにくかったとか、家から閉め出されたとか……)から「争点になりそうなこと」に目ざとくなってるのかな……と思います。(「争点になる」を含めて、この文章の各所に表れる「失敗しそう」レベルの想定は主観的なわけですが、その想定の妥当性を巡って考えていくと、最終的に「卓で説得力を持つかどうか」の話になるかな……と思います)
さて、この話、ずいぶん前に書きました
この話、それが実際のセッションに立ち表れる場面のひとつと考えていただければ良いかと思います。
「想像し、発話し、共有しなければいけないことを省略してしまう」のは、
想像能力(「そこにないもの」の状況の把握、「そこにいない人」との相互作用の想定などなど……)を働かせるの忘れてた……というか、
「そんなことよりも罠屋敷に入りたくてしかたない!」ということだと思います(笑) はたまた、想像能力自体は十分にあっても、それを言葉にして他人と共有する必要性に気づいていないのかもしれません。
いずれにしても、僕らのちょっとした声掛けで
「そういう風に宣言した方がTRPG楽しいじゃんか!」と気づいてくれると嬉しいです。
では!
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